窓の外では鈴虫が夏の終わりを告げる。涼しげな音とは相反して、夕方だというのにこの部屋はじっとりと蒸し暑い。"かげうら" の二階、表通りに面した南向きのカゲさんの部屋。いつもなら人の気配でいっぱいのこの家も店も、今日ばかりは全員出払っている。静まり返った部屋で、互いの息遣いと布擦れの音だけがやけに大きく耳に触る。
本当は夏祭りに行くはずだった。年に一度だけ、夏の暮れに催される祭りは、しかし花火は打ち上がらない。第一次近界民侵攻以来、この街の上空は発生する門に支配されている。それでも三門市じゅうの多くがひとところに集まる日だった。付き合いだして初めての夏、来馬先輩の実家にある浴衣を借りて、例に違わずおれたちも出かけるはずだった。しかし、夕暮れとともに待ち合わせ場所に現れたこいびとを見た途端、大真面目なかおで口走っていた。「今すぐセックスしたいっす」「ふはっ! これ着ろっつったのオメーのくせに」すぐ脱がされんのかよ。笑いながら、その足はもうすでに人混みとは逆のほうに向かっていた。
灯りをつける余裕はなく、座るのも帯を解くのももどかしい。大きく空いた袖口から、相手の腕にそうっとゆびを添わせると、月明りに照らされてほんのりと紅潮するこいびとの表情が目に映る。かっこいい、ずるい。十分わかっていたことなのに、重ね合わさった襟元から覗く自分よりもずっと厚い胸は、おれの理性をいとも簡単に吹き飛ばす。カゲさんかっこいい、だいすき、抱きたい。ついばむようだったくちづけは、いつのまにか噛みつくように貪りあうそれに変わっていた。キスに夢中で言葉は声にならない。けれども、つやめく糸を引いてくちびるが離れる一瞬の隙に彼は言う。うるせぇよ、全部聞こえてんだよ。今夜はおれが抱かれてやる。猫の眼を持つこいびとの視線が孕む熱は、おれの心臓をいっそう焦がす。すきです。壁に追いやったこいびとの右耳に顔をうずめて今度ははっきりと言葉にする。耳にあたる吐息は予感を煽り、全身を粟立てる。とっくに着崩れた浴衣の隙間から撫であう互いの肌は汗ばんでいるのに冷たくて、頭は熱で浮かされているのに思考は冴え渡っていた。溶け合うようにひとつになって、鋭い歯でくちびるを噛みしめて快感を受け止める二つ上のこいびと。そのうつくしさを瞳の奥に焼き付ける。ずっと憧れ続けるだろう。今までだって幾度も思ってきたことを、飽きもせず反芻した。
初出:2021/11/1(Twitterにて)