青い春

 きゅきゅ。体育館の床に上履きが擦れる。あの独特の音が耳に届く。幾人かの女子生徒たちが、鈴のような笑い声をあげながら去る。あれはたしかバスケ部の子たちだ。慣れ親しんだこの場所で、最後の別れを惜しんでいたのだろう。
行ったな。バスケットボールのゴール裏、キャットウォークの欄干にもたれて、影浦雅人は話しかけるでもなく呟く。その視線は先ほどのバスケ部員たちを捉えている。軽やかに出口を跨いで行くのをみとめた。身体は太一に向き合ったまま、首だけをあちらに向けている。くっきりと浮かぶ左の鎖骨は、どこで拾ってきたのか、桜の花びらをひとひら乗せている。いま、この大きな箱にいるのは、自分たちのほかに無数のパイプ椅子だけだ。無機質なはずの場は、さっきまでの式典の感傷をわずかに引き摺っている。
 「在校生でもないのに、こんなとこにいたら怒られちゃいますよ」
 「おまえももうちがうだろ」
 「おれは今日までは大丈夫っすよ」
 緊張を押して、口元だけで笑ってみせる。バレなきゃいーんだよ。こいびとは噛み合わないことばを返す。制服の裾を弄るゆび先。泳ぐ視線。早鐘を打つ鼓動を悟られまいとしても、予感に身体はそわそわと落ち着かない。高校を卒業するこの日を、深部に触れられるこのときを、誰よりも自分が待っていたはずなのに。緊張と躊躇いで微動だにできない。ふたつ年上の、二年前には自分より背が高かったこいびとが、背伸びしてくちびるを重ねる。ここでいいんすか?控えめに問うと、背徳感さえスパイスにしたような、悪い表情かおで笑う。

 「箔がつくだろ?」
 瞬間、目の前のこいびと以外すべてが遠のいた。躊躇いは泡と消え、視界の端で、薄紅色の花びらがひらひらと落ちるのだけが見えた。


初出:2021/10/27(Twitterにて)